クリニックの息子として育ったHARUですが、もともと病院の消毒臭いニオイや雰囲気が嫌い!
えらそうに、患者さんをしかる医者も嫌い!
きちんと説明をしない医者も嫌い!
なんか具合の悪い時にちょっと相談できる「おいしゃ」って感じが好きです。
リチェッタでパソコン仕事をしているHARUを見てなに屋かわからない、そんなだいぶ「医者っ気」の抜けた今だから、ちょっと紹介してもいいのかな・・と思うリアルな経歴です。
思えば・・高校時代は、家業を継ぐことなど一切強要されず、自由に過ごし、一度は工学部へ入学したのに、
でも・・専科を決めるガイダンスの中で、人骨の頭部にボールを当てて、そのひずみやら骨折線の解析をしている場面に出会い、解析より、その人骨に興味があることに気付き、医学への道へ進んだ・・のが、きっかけです。
医学部での授業も終盤にさしかかった頃、たった1日しか実習のなかった形成外科に触れ、一般の外科とは観点の違う、失った組織を再建する外科、しかもごっつ細かな技術の外科、というところに興味を持ち、早々に、自分の専門科を決めてしまいました。
ところが、いざ形成外科を始めると、関連して学ぶべき事が多く、いろいろな分野を経験することとなりました。
麻酔科・・一般外科(内蔵を手術するとこです)・・ちょっぴり肺の外科・・整形外科・・救命救急科(時々テレビのドキュメントなんぞで特集されるシビアな世界です)・・そして形成外科チーフレジデント
そして、市中病院の形成外科・医長、美容外科・院長を経て、リチェッタへたどり着きました。
マスクで分かりにくいですが、右が執刀中のHARUです。
この間、実に15年間・・・ほとんど太陽に当たる事なく、ひたすら手術をしていたような気がする・・
大学病院に在籍中は、ほぼ1年から2年のスパンで職場を移動、住居も相模原、大阪(南河内)、北九州、埼玉、千葉と移動し、最終的に逗子。
移動日なんて用意されていないので、ほぼ中1日で移動を済ませ、翌日からは次の業務開始です。
現在までに、引っ越しは14回程(結婚してからは11回)でした・・とほほ。
逗子に落ち着いてからは、引っ越しの無い生活を楽しんでいます。
リチェッタを始めてからは、実家で内科、小児科医としての仕事も兼務しています。
・・さすがに白衣です。
きっと、自分の周りの大切な人々の、健康管理をする為にも、町のお医者はずっと続けていくのかな・・
・・と思いつつ・・ ・ま、なるようにしか なりませんよね。
これだけは、はっきり言えますが、ニードル脱毛は、細かな作業ゆえに、いつか気力、体力、の限界がきます。
クオリティーが下がっては、リチェッタというお城の価値がなくなります。
もう一つ、今後は高齢となった院長のサポートのため、クリニックへ出向く頻度が増えてきます。つまりリチェッタの出番が減ります・・
できるだけ両方の仕事をバランス良く兼務しますが、気力、体力の限界を感じたら、リチェッタは閉店です・・・今のうちに、せっせと通って下さいね。
それは、やっぱりニードル脱毛が好きです。そして、自分の仕事として立ち上げたリチェッタの仕事を、出来るだけ長く続けたいとの思いが大きくなり、クリニックの仕事よりリチェッタを優先させる事を決めました。
せっかく、日本中(時に海外)よりご来店頂くお客様にも支えられつつ、もう少し続けちゃってもイイですかね?
このページは、これでおしまいです。おつき合い頂きまして、有り難うございます。
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