リチェッタはスタートからこの頃までは、5人体制でまかなっておりました。
毎日全員が出勤していたワケではなく、むしろ全員が揃う事はなく、日々交代しながら、なんとか1週間を繫いでおりました。(今思えば、当時はうーんとスケジュールに余裕がありましたから・・)
ところが、受付の一人は、埼玉から遠距離通勤してもらって、およそ給与とは見合わない状態でしたし、
もう一人も、この頃ひどく体調を崩してしまい、二人に負担をかけないように、体制を立て直して、HARU、HIDE、NAOの三人でこの小さなお城を守ることとしました。
人数を減らして営業するのは、ちょっと心配でもありましたが、昔から個人商店は、とうちゃん、母ちゃんが共働きするなんて普通のことだ!・・と割り切って始めてしまいました。
実際、HARUは遠方の(片道2時間の旅)美容・形成外科クリニック勤務を兼務していたので、この「小さなお城」に出勤するのは、週に2日のみ。残りの4日間はNAOとHIDEの2人で守る日々が続いたのです。
・・そして誰も居なくなった・・じゃなくて、3人の体制に変更です。
HARUは当時、日曜日も病院勤務だったので、休日無しの1年間でしたから、ぐたぐたに疲れていたです。
・・気持ちは一所懸命仕事をしているんですけど・・・
そんなことがあっても、自分たちの「小さなお城」はとても気分の休まる幸せなひとときだったのです。
休日無しのHARUを尻目に、女性スタッフ二人はのんびり?
(お客様がいないのも気分的に疲れるものですが・・)
遠方よりお越しになるお客様の為に、美味しいランチの情報収集の為!?としょうして、
せっせと周辺のお店を調査?しておった・ら・し・い・・
(うんと後になって、HARUは聞かされた・・)
その甲斐あって、二人のランチ情報は、なかなかいけていた!
(これも今となっては、全く出張る余地もなく、お店も変化し、当てにならないかも・・)
普段、手術や診察の合間に「餌」の如くコンビニ弁当を流し込んでいるHARUも、リチェッタで過ごすランチタイムには、生きてるーって実感の湧く一時でした・・
当時は、ネットの世界は発達していませんでしたので、脱毛仕事の合間に、タウン誌の原稿作りや、パンフレットなど配布資料の原稿作りに時間を費やしておりました。
・・作文の苦手なHARUは、すぐに書けないから手間取るんですよね!
そして、年末に一つの転機が訪れました。
(このことがなければ、流石にリチェッタは解散していたかも・・・)
「シュプール」が針樽毛の特集記事を組むに当たり、リチェッタへの取材依頼がきたのです。
5ページ分の記事で、リチェッタ以外にも病院など数カ所の取材を基に構成されたようなのですが、実際には、HARUの回答した内容がほとんどでした。
(HARUが、事前に内容をチェックして、正しくまとまっていなければ、掲載しないって言ったんですけどね・・)
HARUは、常々雑誌に露出しているドクターの姿勢が好きになれず、(医療を乗り越えて、あまりも商売的で、うさんくさく思えたので・・)リチェッタの写真やスタッフの顔は出さないように、お願いしました。
ですから、2ヶ月後に、本当に掲載されるのかどうか、わかりませんでしたが、なんだか有名な雑誌に、自分たちの記事が掲載されるかもしれないと思うと、ちょっとわくわくする年末でした。
とーにかく、この頃は忙しすぎて、あまり出来事を思い出せない・・ので、一年の日記がすぐに終わってしまう・・
そんな中、シュプールの取材は、大きな出来事でした。
ある日、母親が骨折し、相談を受けたのですが、遠距離通勤が故に、なかなか経過を見に行くこともままならず、せっかく家族のためにお医者仕事を選んだのに、お役に立たない生活に、大変疑問を抱いておりました。
自分の体も徐々に痛み始めておりましたし、いつかは実家のクリニックにも戻らないといけないかな・・との思いより、この年ついに形成外科としての生活をやめ、内科・小児科として行こうと決めました。
そうなると、またまたお勉強の日々です。さび付いた内科の知識を、現役に戻さなければいけません。
別にそんなに勉強が好きなワケではないんですけど・・しっかーた無いか。
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